5分でわかるメタリカ
「メタリカとは何ぞや!?」な、あなたのために
サクッとメタリカのことを知ってもらうページです。
黎明期
メンバーの入れ替えからアルバムデビューへ
若手バンドのコンピレーション盤参加を打診されたド素人ドラマー、ラーズ・ウルリッヒ。すでにロサンゼルス地元誌のバンドメンバー募集をきっかけに知り合っていたジェイムズ・ヘットフィールドを誘う形で1981年、メタリカは結成される。 |
発展期
メジャーレーベル移籍、そしてクリフの死を乗り越えて
アルバムデビューを果たしたメタリカはアメリカ国内でのツアーの後、人気が先行していたヨーロッバツアーを開始。そのままラーズの故郷であるデンマークにて2ndアルバム『RIDE THE LIGHTNING』のレコーディングを行う。このアルバムはインディー・レーベルとしては異例のセールスを記録し、ついにメジャー・レーベルであるエレクトラとの契約を獲得することとなった。 |
繁栄期
グラミー賞受賞、メジャーバンドとしての歩みへ
88年には4thアルバム『...AND JUSTICE FOR ALL』を発表。ベースの音が聴こえないなど物議を醸したが、収録曲「One」ではバンド初のプロモーションビデオも作られ、翌89年にはグラミー賞に新設されたヘヴィメタル部門にノミネートされるなどメジャー・バンドとしての歩みを始めることとなった。(その年は受賞を逃すも、翌90年から3年連続でグラミー賞を受賞している。) |
円熟期
ジャンルの垣根を越えたモンスターバンドへ
前作発表から5年後の96年、同じくボブ・ロックをプロデューサーに迎えて6thアルバム『LOAD』発表。バンドメンバーが長髪を切るなどのイメージチェンジ、そして何よりブルースやカントリーなどの要素も取り入れ、シングルではテクノ・ミックスまで披露するなど前作からさらなる大きな変化を遂げ、古くからのファンをはじめ賛否両論を巻き起こすことになった。 |
後退期
ナップスター騒動、ジェイソン脱退、バンド解散の危機
2000年に入るとメタリカは楽曲を無断で提供していた「NAPSTER」に対し訴えを起こす。自分たちの著作権を守るためのことだったが、バンド側が証拠として「NAPSTER」利用者のハンドルネームを公開したことから事態はさらにヒートアップ。すでにメジャーバンドとして成功していたメタリカは「金の亡者」「ファンを敵に回した」といった批判・非難を受けることとなった。 |
復権期
リハビリからの復活、鶴次郎加入
2002年、ジェイムズがリハビリから復帰するとセラピストによるグループセラピーのもと繰り返された話し合いの末、バンド継続の意思を確認。ボブ・ロックを再びプロデューサーに迎えた新作にとりかかる。 |